備前渠用水路とはABOUT
備前渠用水路は利根川から取水し、埼玉県北部の本庄市、深谷市、熊谷市を流れ、
利根川右岸約1,400haの水田にかんがい用水を供給する延長約23kmの農業用水路です。
1604年に江戸幕府代官頭の伊奈備前守忠次により1年間という期間で開削された埼玉県で最古級の用水路で
伊奈備前守の官名から「備前堀」の愛称で親しまれています。
用水路の開削から約400年を経過した現在も同じ流路で素掘水路区間が多く残っており、開削当時の面影を今に伝える歴史的にも貴重な用水路となっています。
また、地下水の涵養、農村景観の維持、生態系の保全、洪水の防止などの多面的機能を有しています。
令和2年12月8日、備前渠用水路が世界かんがい施設遺産に登録されました。
●取水源…利根川●幹線水路延長…約23km●受益面積…1,400ha●取水量(最大)…9,185㎥/秒●設備概要…取入水門、第3樋門、矢島堰
備前渠用水路沿いを
散策してみましょう。
この旗が目印です。
農業用水の多面的機能
●農業用水 かんがい用水や畜産用水などの農業活動に使用
●防火用水 火災時の防火用水として
●親水機能 癒しと憩いの場所として
●環境保全 生態系の保全、景観の維持として
●洪水防止 大雨の時に水を一時的に貯留
水利技術TECHNOLOGY
用水路は、水量や地形を丹念に踏査して築造されていますが、小山川の河道を一部利用して流水を貯留する溜井方式の矢島堰を設け、
堰上流地域の排水も利用する効率的な施設計画で当時の最先端技術である関東流(伊奈流)の水利技術が用いられています。
また、末流は福川に合流し、中川水系の北河原用水や羽生領用水につながり、
山地水源を持たない埼玉県南東部地域の水田の貴重な水源としても寄与しています。
備前渠用水路の歴史HISTORY
埼玉県初の煉瓦造り水門
1887年に本庄市久々宇地内に移設された取水口(現在の第3樋門)は、オランダ人土木技術者ムルデルが設計した埼玉県初の煉瓦造り水門で、
当時の最新技術が導入されており、煉瓦造り河川構造物の先駆けになっています。
渋沢栄一とのかかわり
明治20年(1887年)、渋沢栄一らにより「日本煉瓦株式会社」が設立されました。
明治28年(1895年)に、深谷市上敷免の工場で製造した煉瓦を輸送するための専用鉄道線が開通しました。
備前渠用水路を横断するこの鉄橋は、プレートガーター橋と呼ばれ、 隣接する煉瓦積のアーチ橋とともに「国の重要文化財」に指定され、専用線敷地は歩行者専用の遊歩道として親しまれています。
主な歴史HISTORICAL CHRONOLOGY
年代 | 西暦 | 事項 |
---|---|---|
慶長9年 | 1604年 | 伊奈備前守忠次により開削 |
万治2年 | 1659年 | 福川を境に上下流に分かれ上流部を備前渠と呼ぶようになる |
寛保2年 | 1742年 | 寛保の大洪水により元圦が壊滅 |
天明3年 | 1783年 | 浅間山の大噴火 |
寛政5年 | 1793年 | 幕府により元圦が壊滅 |
文政10年 | 1827年 | 取水口を利根川右岸に移設 |
文政11年 | 1828年 | 用水路復旧 |
慶応2年 | 1866年 | 矢島堰新設 |
明治20年 | 1887年 | 元圦が本庄市仁手から久々宇に移設 矢島堰改築 |
昭和5年 | 1930年 | 本庄市山王堂へ元圦を移設 |
昭和21年 | 1946年 | 県営用排水幹線改良事業 備前渠用水路地区竣工 |
昭和27年 | 1952年 | 備前渠用水路土地改良区発足 |
昭和36年 | 1961年 | 取水口が完成 |
昭和40年 | 1965年 | 県営かんがい排水事業 備前渠地区竣工 |
昭和51年 | 1976年 | 護岸補修工事等開始 |
平成10年 | 1998年 | 県営事業化に向けた調査計画開始 |
平成18年 | 2006年 | 疏水百選に認定 |
令和2年 | 2020年 | 世界かんがい施設遺産に登録 |